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3.内職(7)

先生の部屋は大階段の踊り場の東側にあった。ドアの横にはインターホンが取り付けてある。Mがインターホンに向かって来意を告げると電気的に錠の外れる音がした。別回線で部屋に電源を取って、セキュリテーシステムを導入しているらしい。ドアも他の部屋とは違い、別あつらえの厚い樫材でできていた。方形の部屋の広さだけが同じだった。古畳はなく、桜材の寄せ木で葺いたフローリングの上をふっくらとしたペルシャ絨毯が被っている。黒檀の一枚板でできた大きな座り机がドアに向かって置いてある。腰高の小さい窓は聖母マリアを表したルオーの模写のステンドグラスになっていた。狭い部屋に三灯も使った間接照明がステンドグラスを絵画のように浮き上がらせている。富士見荘ではなく都会のホテルに紛れ込んだような豪奢な部屋だった。空調の音だけが微かに響いてくる。室温は暖か過ぎるほどだ。拘束具を入れたレジ袋を持ってドアを背にして立ちつくすMの前で、二間続きの引き戸が音もなく開かれた。厚手のシルクのナイトガウンを着た先生がMを見てにこやかに笑う。

「早速届けに来てくれたのか。口枷をされた裸身も良かったが、服を着た素顔も捨てたものではないな。掃き溜めに鶴とはよく言ったものだ。きっと深い訳があるのだろう」
静かな口調だったが、先ほどと言葉遣いが変わっていた。若い性に対抗するような気負いを感じて、思わずMは笑ってしまう。
「そんなにおかしいか。若い女はよく笑う」
九十歳の老人から若いと言われても否定することはできない。Mは富士見荘にいる限り、小児化し退行して行くしかないような気がした。年相応のMの行為が、老人たちには背伸びをしているとしか見えないらしかった。老人たちが成長をやめてしまったとしか考えられなかった。思うにまかせぬ行動力が思考を停止させ、後から追う者を揶揄させるのだ。肉体の衰えが一切を規定している。歳を取ることが恐ろしくなった。

「二万円はありがたく頂きます。ありがとうございました」
誠意を込めたMの声に先生の目が鋭く輝く。口元に下品な笑いが浮かんだ。
「金に困っているなら、僕がいつでも貸してやる。利息は月十パーセント。Mの場合は物納も認めるよ」
「身体を売れということね。私は物でないわ」
挑戦的な答えに先生は特別の反応を見せない。ゆったりとした立ち姿で背の高いMの顔を見上げた。
「ほう、さっき二万円で買ったはずだが、他の売り方もするのかね」
「確かに、お金はいただいたわ。でも、不当に拘束された身体を陵辱されたのよ。謝罪金といった方が正解ね」

「受け取った金にMは礼を言った。身体を売ったことを認めたのだろう」
動じる気配もなく先生が言い募った。Mの全身に疲労がたまる。
「百歩譲って、身体を売ったと言ってもいいわ。でも、私が売ることを決めたのよ。決して買われることを認めたんじゃない。これは、私が先生を買う場合もあるということなの」
「言いたいことは理解できないでもない。僕は九十年も生きてきたすけべだ。春をひさぐ女との経験も豊富だ。身体を売る女は決して自分の官能を求めはしない。商品としての身体が持たなくなるからだ。Mはさっき、悲惨な姿態をさらけ出しながら九十歳の僕を相手に官能を追おうとしたね。僕はうれしかった。だから二万円払った。Mが僕に二万円払う場合もあるという意味は分かる。金の受け渡しがなければ自由恋愛ということだ。だがこの歳になって、そんな甘い夢など見たくはない。金を受け取ってくれたことに感謝している。Mはプライドが高すぎるのだ」
Mは黙って大きくうなずいた。先生の口元にまた薄笑いが浮かぶ。

「素直でいい娘だ。この部屋で今、Mの裸が見たい。素っ裸になってくれるだけで五千円出そう。脱いでくれないか」
「お断りします。私は身体ではなく労働が売りたい。でも、若い私がお婆さんたちの内職に参加するわけにいかないわ。仕事を紹介してください」
「身体が売れない者が労働を売るのだよ。なんで身近な物から売ろうとしないか分からないね」
「私は商人ではないわ。生産に携わっていたいの」
「どんな仕事がいいのかね」
「できれば単純労務がいい。特技のない前科持ちの女がすぐ働けるところなら、明日からでもいいわ」

先生の目がまた鋭く光った。しかし、口に出した言葉は言おうとしたものと違う言葉のようだった。熱意がない声だ。
「工事現場の交通誘導員をすればいい。ここの家主の大屋もしている。運転免許さえあれば誰にでもできる仕事だ。少しきついが月二十五万円にはなる」
「家主さんは雑貨の卸商だと聞きましたが、勤めているんですか」
天田の説明と違う家主のイメージに戸惑い、思わず尋ねてしまった。つまらなそうな顔で先生が答える。
「今時、ちり紙や歯磨きの卸がやっていける道理がない。売れ筋の雑貨はみんな、安売りスーパーの目玉商品だ。大屋の店も火の車だ。自分で稼ぐしかない。土地は全部抵当に取られ、こんなぼろアパートの権利書すら僕が預かっている始末だ。大屋と一緒に日に焼けて交通整理をするといい。色が黒くなっても僕は一向に構わない。いつでも拘束具を身に着けに来てくれ。約束の値段でMを買おう」
先生の目が、また好色そうに光った。富士見荘には性の匂いと暮らしの匂いだけが満ち溢れているとMは思う。今日一日の疲れが全身に込み上げてきた。そっと目を閉じると、広い戸外で自動車を誘導する制服姿が目に浮かんだ。爽快だった。老人のお守りはしていられないと思った。家主と一緒に交通整理で汗を流すことに決定した。
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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