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5.婚姻届(2)

「おばちゃん、おばちゃん、大きいおばちゃんはきれい」
突然、足元で舌足らずの声が響いた。Mはぎょっとして視線を落とした。三歳くらいの男の子が足元に近寄り、脚に抱き付いてくる。ねっとりした手の感触が素肌を通して全身に伝わる。
「進太。Mおばちゃんにご挨拶なさい。きれいなおばちゃんでよかったね」
絶句していたチーフが慌てて男の子に呼び掛けた。

「まさか、チーフの子なの。なぜ連絡してくれなかったの」
「ハハハハ、いやだな。私の子ではないわ。進太は修太の子よ。ナースの孫になるわ」
今度はMが耳を疑い、絶句してしまった。
「どういうこと、初めて聞くわ」
「出所したら真っ先に話すはずだったのよ。でも、Mはよそよそしくて怖いくらいだったから、私も祐子も言い出しかねてしまったの。進太は修太と睦月の子供よ。睦月が獄中で生んだ子なの。どういう訳か、祖母に当たるナースでなくて祐子に連絡してきたの。睦月が故意に父を不明なことにしてしまったからナースも手が出せなかった。祐子は睦月に事情を聞いて進太を引き取ることを承諾したのよ。祐子はお金持ちのテキスタイル・デザイナーでしょう。児童相談所も大喜びで進太を引き渡したわ。睦月の刑は三年だったの。でも、進太を産んで間もなく仮釈放になった。それから進太を引き取って働きだしたの。今は歓楽街のクラブでホステスをしている。天田が子供好きだから、よくうちで預かるのよ」
チーフの話はMの右の耳から左の耳へと、ただ流れ去っていく。頭の芯が痛み、激しくめまいがした。

「おばちゃん、おれ、しんた、おばちゃん大きい」
かん高い甘え声がまた足元で響き、進太がMを見上げて挨拶をする。
「進太、俺じゃなくて、僕でしょ。天田の口まねするから弱るのよ。睦月にまた嫌味を言われる」
進太を注意したチーフが楽しそうにMに話し掛けた。
「ちーふはうるさい。きらいだ」
足に縋り付いた進太が叫んでチーフにアカンベーをした。くりっとした大きな目といたずらそうな口元が死んだ修太に生き写しだった。生意気なところまで幼いころの修太と似ている。見下ろすMの目に涙が溢れた。全身が小刻みに揺れる。足元の進太が不安そうな目でMを見上げた。

「おばちゃん、ないてる、いたいの、おれ手をはなす」
「いいのよ。おばちゃんでなくMと言って。私はM」
涙を拭って恐る恐る進太の頭に手を伸ばした。柔らかな黒い髪をそっと撫でる。また涙がこぼれた。
「M、ないちゃだめ」
進太の声が優しく響く。とうとうこらえきれずにMの嗚咽が部屋中を満たした。チーフが気を利かせて進太の手を取り、カウンターの裏に回った。シェーカーを用意してマティニを作り始める。Mの嗚咽はとどまるところを知らない。フロアに立ちつくして全身で啜り泣いた。恥じ入ることはない。ピアニストの分まで泣こうと思い定め、激しく慟哭した。

どんなに悲惨な心の傷も泣き疲れるまで泣けば必ず癒える。人が引き受けられる痛みと涙の量は、あらかじめ微妙なバランスを取って量られているに違いなかった。激しくしゃくり上げる肩が背後からそっと抱かれた。振り向くと白い頬を痙攣させた祐子の顔があった。大粒の涙が頬を伝っている。涙で濡れた頬がMの頬に寄せられ、二人の涙が混じり合って胸の谷間に流れ落ちた。嗚咽する祐子の背をMが優しく抱き締める。
「Mも、ゆうこも、みんな、なきむし、おれはつよいぞ」
カウンターの前で背の高いスツールにちょこんと腰掛けた進太が、泣きじゃくる二人に大声で言った。その声がまた二人の涙を誘う。
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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