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4.面会(6)

「お婆さんは、よくここに来るのですか」
静かな声で尋ねると、老婆が首を横に振った。
「私はM。お婆さんにお願いがあります。ここもすぐ面会人で一杯になってしまいます。一緒に外に出て、ぜひ私の話を聞いてください。頼みます」
縋り付く声にありったけの誠意を込めて、老婆の手を取って立ち上がった。老婆は一言も口を利かずに黙ったままMに従う。混雑してきた受け付け室の自動ドアから外に出てベンチに並んで座った。
「お婆さん。あなたの会う人に私を会わせてください。お願いします。私はM。愛しい人に会いたくてここまで来ました。その人は死刑囚です。身内の者しか面会できない。でも、どうしても私は会いたい。殺される前に会って、愛を、憎しみを確かめたい。お願い、あなたの代わりに私を面会室に入れてください」
老婆に訴える目に涙が浮かんだ。涙は降りやまぬ雨のように次から次へと両目に溢れ、冷たい頬を濡らした。

「わしの代わりに爺さんに会っても、あんたの思いは遂げられはしない」
黙って聞いていた老婆が初めて口を開いた。Mの目に希望の火が灯る。
「面会室に入れるだけでいいのです。その後は私が全力で切り開きます。入れ替わりが発覚したときは、愛想のいい女に面会許可証を預けてしまったと言ってください。すべての責任は悪者になった私が負います。お婆さんに罪はないのです。少し時間がかかるでしょうが、お婆さんも今日中に面会できる。私に騙されて下さい。お願いします」
老婆はMの訴えを黙って聞き、遠くを見つめる目で降り続く雨を見つめた。

「わしの会う男は若いころに添い遂げられなかった男だ。金がなくて一緒になれなかった。わしは仕方なく親の薦めで嫁に行き、四人の子を育てた。四人とも成人して独立したと思ったら夫を亡くした。あの男は自堕落な生活を続け、小さな罪を犯し続けていた。わしのせいだったかも知れない。わしは反対する子供たちと親子の縁を切って男の元に帰った。そう、帰ったんだ。だが、男はまた罪を重ねて刑務所にいる。でも、ありがたいことに生きている。Mの男とは違う。また娑婆に出れば、わしに当てつけるように罪を重ねるだろう。M、こんな紙は好きに使ったらいい。愛しい男が死ぬ前にぜひとも会え」
静かな語り口の底で愛憎の残り火が熱く燃え上がった。Mの頬が上気する。くたびれた巾着から面会許可証を出して老婆がMに差し出す。Mは拝むようにして小さな手から許可証を押し頂いた。
「少し寒いけど、しばらくここにいてください。すぐ騒ぎになって迎えが来ます。その間これを着ていてください。お願いします」
Mは煉瓦色のジャケットを脱いで老婆の肩に着せかけた。深々と礼をしてから自動ドアに戻っていった。


待合室も面会人で混雑していた。賑やかに私語が飛び交っている。Mがベンチに座るとすぐ、スピーカーが老婆の名を呼んだ。素知らぬ顔で立ち上がって奥のドアに向かう。背中に刺さる視線を意識して背筋を伸ばしてドアを開け、面会室に続く廊下に出た。三メートル先の突き当たりに置いた机の向こうに係官が座っている。面会許可証を差し出すと、刺すような目でMを見上げた。背筋を冷や汗が流れる。許可証の年齢と照合されれば万事休すだった。だが、係官は事務的に許可証を箱に入れ、右手に延びた廊下に視線を向けた。

「一番奥の、ドアの開いている六番の部屋に行ってください。中に係官がいるから指示に従ってください。面会時間は十分間です」
事務的に答える声を上の空で聞いて、Mは面会室に向かう。五つ並んだドアが歪んで見えた。最後の勝負が待っているのだ。開いたドアの中は三畳ほどの狭い空間だった。目の前の透明な間仕切りの前に粗末な椅子が置いてある。
「椅子にかけて待ちなさい。すぐに来るよ」
横柄な声がした。しおらしくうなずいて椅子に向かいながら声の主をうかがう。かっぷくの良い初老の男がつまらなそうな顔でドアの横に立っていた。一目で人手不足で駆り出された事務管理職と分かった。幸先のいいスタートにMは思わずほくそ笑む。最後の舞台は現場職員の覚めた目だけが脅威なのだ。プラスチックの間仕切りの向こうには小さな丸椅子と、看守が座る椅子と書き物机が置いてある。その狭い空間に連なるドアが外に開いた。若い看守に腰縄を曳かれて老人が入ってくる。灰色の囚衣から伸びた両手は前手錠で繋がれていた。疲れた顔をした痩せた老人は、鋭い目でMを見た後、とぼけたような声を出した。
「やあ、やっと昔の彼女が面会に来てくれたな」
正体不明のMを見咎めることもない、徹底した反権力の姿勢に感謝したが、芝居は続けねばならない。Mは声を張り上げて若い看守に抗議した。

「馬鹿にしないでよ。人違いじゃない。死刑囚に面会するからといって、いいかげんにしたら許さないわ。新聞に大きく書いてもらうわよ」
Mの剣幕に若い看守がどぎまぎする。ドアの横に立っていたかっぷくの良い男が歩み寄って来た。即座にMがピアニストの囚人番号を大声で告げた。見知らぬ女が口にした、聞き慣れた囚人番号が二人の職員の耳を貫く。二人の脳裏に単純ミスという言葉がよぎっていった。
「お願い、札幌に帰る飛行機の時間まで一時間しかないの。早く連れてきてください」
横に並んだ管理職員の目を捕らえて、Mは熱っぽく哀願した。
「次長。僕が間違えるはずはありません。この人が面会室を間違えたんだ」
次長と呼ばれた男は、まぶしい目でMを見た後、若い看守に目をやる。看守のだらしなく曲がったネクタイを厳しい目で見つめてから冷ややかな声を出した。
「コンピューターの端末で呼び出した面会データのコピーは持ってきたのか」
「いえ、忙しくて画面を確かめるのが精一杯でした」
頬を赤く染めた若い看守が下を向いて答えた。
「囚人番号まで指摘されては抗弁できないだろう。早く連れてこい。飛行機が間に合わなくなると言っているぞ。それから、ネクタイはきちんと締めろ」
次長が権限を傘に若い看守を叱り飛ばした。看守は青い顔で老人の腰縄を曳いてドアの外に消える。外に出る瞬間、老人の鋭い視線がMを捕らえた。Mは小さくあごを引いて目礼した。老人の目が優しく笑った。
「大丈夫、すぐ連れてくるよ。四月に人事異動があったばかりで慣れない奴もいる。新聞には書かないでくれ」
なにを勘違いしたのか、次長はMを新聞記者と思ったらしい。好都合だったが全身がむず痒くなった。ピアニストと再会できる希望が膨らむ。
プロフィール

アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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