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5.婚姻届(3)

「さあ、Mも祐子もたいがいにして飲みなさいよ。修太は修太、進太は進太よ。一緒にしたら二人とも怒るわ」
わざとらしく怖い顔でチーフが言って、温くなってしまったマティニを流しに捨てた。Mは啜り泣きを続ける祐子の肩を抱いてカウンターに向かった。進太の隣に祐子を掛けさせ、その隣に座る。
「M、ごめんなさい。来た早々泣いてしまって嫌になるわ。でも、Mの泣き顔を見たら胸が詰まって泣かずにはいられなくなってしまった。進太のことも、これまで言い出しかねていてごめんなさい。Mがパニックになってしまいそうで怖かったの。今日言おう、今日言おうと思っているうちに時間ばかりが経ってしまった」
祐子がしゃくり上げながらMの顔を見て言った。化粧をしていない素肌に涙の跡がよく似合う。
「いいのよ、祐子。私も出所してすぐは気が動転していた。進太のことを聞かされたら、きっとパニックになったわ。働きだしてやっと落ち着けたのよ」
優しい声で祐子に言った。ピアニストとの結婚を話しに来たというのに、進太に会った途端にこの始末だ。パニックとしか言えないと思った。だが、Mの言葉で一安心したように、祐子が本題に切り込んできた。

「M、結婚するんですって。おめでとう。相手は誰。チーフは意地悪をして電話では言ってくれなかったわ。私は急いで飛んできたのよ。ねえ、誰と結婚するの。早く教えて」
尋ねる声は華やいでいたが泣き笑いの顔だ。確かに祐子は着古したジーンズに黒いトレーナーを着た作業中のスタイルだった。靴もスニーカーだ。期待の大きさを表している。とっさにMは言葉に詰まった。
「祐子、私は意地悪はしないわ。まだ私も聞いてないのよ。祐子と一緒にMを祝福したかったの。さあ、M。新しいマティニを作ったわ。一口飲んでからフィアンセを紹介してね。その後でみんなで乾杯しましょう」
チーフが口を挟み、新しいカクテルグラスに満たしたマティニをMの前に置いた。Mはグラスに口をつけて一口味わう。久しぶりのマティニがおいしい。このまま酒を飲んでいたいと思った。だが、祐子もチーフも口元を見つめ、期待のこもった目で聞き耳を立てている。口を開かないわけにはいかなかった。

「結婚の相手はピアニストよ。今日、刑務所に面会にいってきたの。プロポーズされたわ。ピアニストは真剣だった」
発せられた言葉が宙を舞った。祐子もチーフも余りのことに開いた口が塞がらない。信じがたい事実に耳を疑っている。進太の口ずさむでたらめな歌だけが、のんきな場を装っていた。誰もが思っていることを言葉にしたくなかった。長い沈黙が続いた。

「どうしたの。チーフ、祐子、二人で祝福してくれるはずじゃなかったの」
低いつぶやきがマティニのグラスに落ちた。待っていたようにチーフが口を開く。
「信じられない。Mらしくないわ。失礼だけど、死刑囚と結婚するってどんな意味があるの。同情、憐憫、それとも自己満足。これまでのMの生き方とは違うわ。私は賛成できない」
興奮に肩を震わせ、怒ったような強い調子で言い切った。
「私は悲しすぎていやよ。Mがかわいそうすぎる。ピアニストは喜ぶだろうけど、Mはどうなの。明日死ぬかも知れない人よ。鉄格子を挟んで面会することしかできないんでしょう。希望が無いもの。残酷だわ。私はMにプロポーズしたピアニストを憎む」
祐子がまた泣き出しそうな声で言った。Mの顔も苦悩で歪む。祝福されなくて当然だった。愛を確かめ合えない結婚なんて考える方が無理なのだ。しかし、Mは重い口を再び開く。
「結婚という言葉が衝撃的だったみたいね。私の言う結婚とは婚姻届を役所に出すということよ。ピアニストと結婚するための手続きをしたいの。最後までピアニストに寄り添っていたいだけ。そのために必要な手続きをするのよ。祝福は要らないわ」
Mは言葉を選んで話した。自分自身を納得させたかった。

「やはりおかしい」
チーフのいらだった声が飛んだ。
「M、おかしいわよ。結婚が方便で、婚姻届が目的のための手段だと言っても無理があるわ。死にかけた老人の遺産目当てで結婚するのとどこが違うの。老人の死ぬ間際まで愛情を込めて寄り添ってやりたいと言っても、二人の愛と官能を確かめて育てていかない限り、どんなことを言いつくろっても嘘になる。Mとピアニストには育てていく機会も時間もないわ。やはりMは自分を大切にしていないと思う。ピアニストに対しても傲慢に見える。Mらしくない」
Mはマティニをまた一口飲んだ。ジンの刺激が疲れ切った舌を刺す。

「私とピアニストは、お互いの世界を共有し愛を確かめることができる。別に私がピアニストの犠牲になるわけではないわ。ピアニストはピアノの練習を始めているの。私のためにだけピアノを弾くのよ。私にはそのピアノの調べが聞こえる。私への愛の深まりが、そのまま音になって私に語り掛ける。私は毎日その音を聞く。愛が深まり、官能が高まるのよ」
「M、ピアニストの責任と人格はどうなるの。死を目前にしたピアニストはMに死を贈ることしかできない。つまり、二人は対等ではない。Mに叱られるのを覚悟で言うと、驕りがあるような気がする」
祐子が遠くを見る目で言った。これまで接してきたMの幻影を追っているような眼差しだ。
「祐子、私は二人分の責任と人格を引き受けてもいいと思っているの。刑務所を出所してから会った何人もの女がそうして生きて来ていたわ。私は独りだけで生きることができる」
Mの言葉でサロン・ペインをまた沈黙が満たした。
プロフィール

アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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