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4.面会(1)

Mが工事現場の交通誘導員を始めてから三週間が経った。思っていたより仕事はきつい。朝八時から夕方の五時まで路上に立ちつくす。雨の日もあれば風の日もあった。毎朝の起床は午前六時。六時半にはきちんと朝食を食べる。食堂は富士見荘一階の暗い台所の板敷きの広間だ。四人の婆さんたちと一緒に食べる。午後七時の夕食も同様だった。一か月五万円を拠出して婆さんたちの共同生活に混ぜてもらったのだ。毎日二度の食事と風呂に入る権利が獲得できて洗濯もしてもらえた。金貸しの先生も月八万円で加入している。先生の料金には膳の上げ下ろしと身の回りの世話も含まれていた。先生だけは二回の食事を自室で食べる。だが、本当は金を払っていないらしい。料金は四人の婆さんの借金返済に充てられているという。一人当たり月二万円の返済だ。婆さんたちが実際に切り盛りする金は月二十五万円しかない。食事はお梅さんが作る。囲われていた旦那に愛でられたというお梅さんの料理はうまい。Mは一万円を余計に払って昼の弁当も作ってもらっていた。婆さんたちはMが加入したことで使える金が増え、食事の質が上がったと言って喜んでいる。全員が五万円ずつ拠出しているかどうかも怪しいものだ。その上、内職の荷物運びや買い物、掃除などで力の要る仕事はMが受け持つことにされてしまった。会費を払って役務も提供する。原始的な共同生活といえないこともない。非力な婆さんたちが編み出した暮らしの知恵だった。息苦しささえ我慢すれば理想的なシステムだ。しかし、何もしない先生が混じっているため、どう格好を付けてもコンミューンとは呼べなかった。

食事はいつも台所の板の間に五人で輪になって座り、床に直接置いた食器を使う。今朝は暖かになった風が真冬には底冷えのする台所をさわやかに渡っていく。富士見荘は夏向きに作られた典型的な日本家屋だ。すでにMは灰色のガードマンの制服に身を固めていた。
「今日も、同じ現場なのか」
中央に置かれた山菜のお浸しに箸をのばした途端に、お菊さんの声が飛んだ。
「いいえ、今日から現場が変わるわ。運動公園の横の水道工事よ。また大屋さんと一緒。お陰でバイクに乗せていってもらえる」
答えてから、さり気なく鉢に箸を入れた。しばらく前までは箸を躊躇していたところだ。Mがおかずを食べ過ぎると必ず誰かが何かしら声を掛ける。やはり婆さんとは食べる量が違うのだ。だが、嫌がらせをされても食べる一手だった。知らない振りをしていれば済むことに、やっとMは気付いた。四人の婆さんが無料の福祉バスで山地に行って摘んできた山菜はおいしい。あれこれ言っても結局老人は暇なのだ。味噌汁と漬け物、丼飯の他に、たまに生卵が食卓に出る。決まってスーパーで卵の安売りをしているときだ。使う醤油の量にまで婆さんの目が光った。けちと言うより確固とした暮らしの重みを感じてしまう。お陰で六万円を払っただけで安心して一か月の生活ができる。ガードマンの賃金も割のいい月給制を選ぶことができた。日給制にない皆勤賞の二万円が余計に支給されるのだ。給料が出るまで外食やコンビニエンス・ストアの弁当を利用していたとしたら、Mの残金と金銭感覚では食べられなくなっていたはずだ。婆さんたちの長年の個人的生活の失敗から編み出された共同生活は、煩わしさを差し引いてもお釣りの来るものだった。

「お先にごちそうさま」
四人の婆さんに声を掛けて立ち上がり、流しに行って自分の食器を洗う。婆さんたちは当番制だが、勤めに出るMは当番に参加できない。かといって余計な金を払う気はない。婆さんたちはしっかりしている。暮らしのキャリアが違うのだ。そもそもMに家計の切り盛りという感覚は初めからなかった。天涯孤独の付けが変なところで回ってきたと思う。婆さんたちに毎日厳しく仕付けられ、これまでの付けを払わされていた。とても太刀打ちできる相手ではない。食器を洗っている間にお米さんが入れてくれた温い茶を啜ってから、誘導灯やトランシーバーなどの七つ道具を入れたリュックサックに弁当を詰める。白いヘルメットを被ると全身が引き締まった。

「行って来ます」
全員に挨拶した。
「行ってらっしゃい」
声をそろえて四人の母がMを送り出した。このときばかりは温かいものが胸を満たす。たとえ紛い物でも家族はいいなと思ってしまう。黒い編み上げの安全靴を履いて玄関から外に飛び出す。鋭い日射しが全身を被った。春とはいえ、今日も結構暑くなりそうだった。足早に路地の出口に向かった。

家主の大屋の家は市道沿いの大きな店舗だ。広い間口にはシャッターが下ろされていた。本業の雑貨の卸はずっと停滞している様子だ。一枚だけ半分上げられたシャッターの前に90ccの黒いバイクが止められている。Mはいつものようにシャッターをくぐって暗い店舗に入った。住居は店舗の二階にある。大屋は五年前に妻を亡くし、今は一人暮らしだという。一人息子は都会の有名大学に進学していると自慢そうに話していた。四十七歳の男だ。

「なにっ、息子の学費を取り上げるだって。そんなことはさせない、許さないぞ」
突然興奮した声が耳に飛び込んできた。大屋の声だ。事務所に使っている小部屋の奥から声は聞こえた。
「たかが百万円じゃないか。すぐに返すよ。三日、後三日待ってくれ。なあ頼むよ。長い付き合いだろう。息子の学費を押さえるのだけは勘弁してくれ。後二年で卒業なんだ。頼みますよ」
初めと違った気弱な声が後に続いた。借金の返済を迫られているようだ。どこに行っても金のない話しか聞こえてこない。うんざりする。もちろんMにも金はない。就職の支度や寝具の購入に出費がかさみ、有り金はもう五万円を切ってしまった。給料日まで一週間もある。百万円など夢の世界の話だった。

「おはよう、M。恥ずかしい話を聞かれてしまった。本当に所帯苦労はやり切れないよ。一人暮らしのMが羨ましくなる。大学生の息子を持つと本当に辛い。たかが百万の金で泡を食ってしまう。本当に情けない」
神経質そうな顔で大屋が愚痴をこぼした。いつもの悠揚迫らぬ、若旦那然とした顔の方がMは好きだ。
「なるようになるわ。行きましょう」
できるだけ明るい声でMが促した。大屋の長身がやっと胸を張る。黒く日に焼けた顔で白い歯が笑った。
「まったくだ。Mの言うとおりだ。元気に稼ごう」
明るさの戻った声で大屋が答えて外に向かう。Mが後ろに続いた。
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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