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4.面会(5)

電車は五分ほどで刑務所のある駅に着いた。時刻は午前九時を回ったところだった。まだ雨は降りやまない。ちっぽけな駅前広場には商店街があり、スナックやバーの看板も出されていた。夕刻になれば雑然とした活気が溢れるはずだが、この時間ではコンビニエンス・ストアと刑務所の差し入れ屋以外はシャッターが下りたままだ。差し入れ屋は囚人に面会に来た者が所内に持ち込みを許された弁当や雑貨を買う店だった。どこの刑務所の前にも必ずある陰気な店舗だ。締まったガラス戸に貼ってある地図で刑務所への道順を確かめる。駅前の道と交差する広い国道を渡り、大河にかかる橋を渡りきった先の左手に刑務所はあった。地図で見る限り寂しそうな場所だ。都市化が進む地方都市だが、大河の向こうには刑務所と埠頭しかない。地図を見上げるMの頬を冷たい雨が濡らした。潮の混ざったような、ねっとりとした雨だ。髪も肩先もじっとりと濡れる。コンビニエンス・ストアに入って四百円で傘を買った。透明のビニールでできた小さな傘だ。背筋を正し、うなじを上げて歩き出す。透明な傘の上を涙のように雨の滴が流れていく。

大河にかかる長大な橋をMが一人で渡っていく。歩道に吹き上げる風に乗った雨の滴がワインレッドの靴と黒いスカートを冷たく濡らす。眼下に見える広大な川筋はどんよりした鉛色に染まっている。まるで流れることをやめてしまったようだ。川筋の果ては雨足に溶け込み、垂れ込めた雲と海の境目すら定かでない。全身が雨と潮で濡れそぼってしまう気がする。時たま通り過ぎる車が徐行してクラクションを鳴らす。乗っていけという合図だ。Mは合図を無視して真っ直ぐ前を見て歩く。ようやく橋を渡りきると、左手に刑務所の望楼が見えた。広大な方形の敷地の四隅に赤煉瓦を積んで築いたどっしりとした望楼が周囲を威圧している。望楼は同じ赤煉瓦で築いた高い塀に根を張り、雨空に向けて直立していた。雨は赤い煉瓦の表面を叩いて内部に浸み込む。煉瓦の鮮やかな赤は黒へと彩りを変え、塀際を歩くMの気分をなお一層暗く打ちのめした。T字路になった交差点の左が正門だった。傘をすぼめて潜り戸を入る。短い渡り廊下の先に面会者専用の自動ドアがあった。ドアの両側には粗末なベンチが二つ置いてあるが座っている者はいない。Mは歩調を変えずにドアを通った。

室は思ったより狭い。すぐ前が受付の窓口だった。パソコンのディスプレーを前にして紺の制服を着た職員が座っている。職員は先着の老婆の話を聞き、キーボードを叩いている。他に人影はない。右手に待合室と銘板の打たれた部屋があり、開け放されたドアから四人の男女が見えた。室は明るく照明されているが全体に疲れ切った重い雰囲気が漂っている。Mはドアの横に立って、しばらく老婆の様子を見ていた。刑務所に来るまで考えてきた筋書きを頭の中でおさらいする。誰にともなくうなずき、室の中央に用意された記載台の前に行った。面会申請書に備え付けのボールペンを走らせる。文字をなぞる音がうるさい。続柄に姉と記入し、備考欄に五日前に認知された腹違いの姉と書き添えた。後は受付の対応を待つばかりだ。老婆の後ろに並んで待つ。胸の鼓動が高まっていくのが分かる。職員から面会許可証をもらって老婆が退くと、すぐ窓口に申請書を出した。差し出した紙片を職員が手に取って見て、黙ったままキーボードを叩く。待つ間もなく現れたデータを横目で読んで職員がMの顔を見上げた。

「家族票には父と母しか記載されていません。姉の名前はありませんね。残念ですが面会はできません」
「嘘よ。五日前に父に認知されたって書いておいたでしょう。データが間違ってるんじゃないの。見せてください。納得できないわ」
困惑と哀願の調子が強く出るようにして抗議し、これ以上ないほどの熱い視線を若い職員に浴びせた。職員が困惑して視線を落とす。
「嘘じゃないですよ。ほら見てください」
職員がディスプレーをMの方に回した。Mはとっさに目を走らせ、ピアニストの囚人番号だけを見つめ、必死で記憶に焼き付けた。ディスプレーの向きはすぐもとに戻される。Mは大きくうなずいて囚人番号を頭の中で復唱した。

「改めて、また来てください。本籍地からのデータが遅れているのかも知れませんよ」
首を縦に振ったMの仕草を誤解して、職員が申し訳なさそうな声で言った。
「そんなのだめよ、今さら帰れないわ。やっと認知したと、父から連絡があったので札幌から飛んできたのよ。弟はいつ死刑になるか分からないんでしょう。お願い、市に問い合わせてください」
職員の目をじっと見つめて哀願した。今にも泣き出しそうな目を見て、職員の困惑が深まる。
「いいでしょう。今日は日曜日だけど、市役所には日直がいるかも知れない。事務所に連絡して、そこから市に問い合わせてもらいますよ。しばらく待っていてください。時間がかかるかも知れないけど、それでだめなら次の機会ですよ。いいですね」
思いの外親切な応対が返ってきた。背後で人の気配がした。Mは黙ってうなずいて道を空ける。黒い背広を着た三人連れが代わって窓口に向かった。Mは室の隅に立って目まぐるしく頭脳を働かせた。爪先から髪の先へと焦りが行き来する。時間はそれほど残されていなかった。嘘の筋書きは市に問い合わせればすぐにばれる。それまでに次の作戦を考えねばならない。せいぜい一時間が勝負だった。Mはいらだちに身体を震わせて待合室に入っていった。方形の部屋の中はひっそりしている。壁にもたれて見るともなく室内を見回す。黒いビニールレザーを張ったベンチに、ひっそりと座っている老婆が目に入った。先ほどMの前に受付を済ませて面会許可証をもらった老婆だ。窓口で盗み見た書類では内縁の夫と面会する様子だった。嫉妬心が頭をもたげる。老婆の横顔にお菊さんの顔が重なる。その瞬間、頭の中で形をなさないアイデアがひらめいた。Mは老婆の前にゆっくり歩み寄り、足下にひざまずいて両手を握った。老婆の顔が驚愕に震える。優しく手をさすって祈るような目で視線を捕らえた。
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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