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1.築三百年の屋敷(4)

「俺に仕事を押し付けっぱなしで、Mはあいつの屋敷に入り浸りだった。すでに有給休暇もなくなり、解雇されるのは時間の問題だった。それまでにも俺は、何度となく意見をし、嫌味も言ったんだが、Mは聞き入れてくれなかった。あいつとの恋が最高だとうそぶいていたんだ。俺は、Mに怒鳴られるのを覚悟で、職場に復帰するように頼みに行った。無性にMに会いたかったんだ。ドアチャイムを鳴らしても答えないので、無断でアパートのドアを開けた。ちっぽけなワンルームだった。俺は、仰天して息を呑んだ。リビングにいる素っ裸のMが目に飛び込んできたんだ。Mは姿見の前に立っていた。俺に気付いた様子もない。遠くを見る目で、鏡に映る自分の裸身を見つめていた。真っ白な美しい肌に、赤黒い筋が痣のように無数に走っていた。特に尻がひどかった。慌ててドアを閉めたよ。振り返ったMと、一瞬目があったが、これといった表情は浮かんでいなかったね。どこか遠くを見ているような、我を忘れた目をしていた。悲しいほど美しかった。あんなに美しい裸身が、悲しく見えたことが不思議でならなかった。外に出て、青く澄んだ秋空を見上げたら涙がこぼれた。悲しさの理由が分かった気がした。Mは完璧に独りぼっちだったんだ。鏡に映る孤独を見つめるように、自分の裸身に見入っていた。その肉体には官能の余韻と、性の喜びが刻み込まれていたはずなんだ。けれど、それも空しかったのだろう。あんなに誇り高かった女の深奥を、盗み見てしまった気がしたよ。俺は、泣きながら会社に帰った」

話し終えた木村さんの目が、涙目になっていました。僕の目頭も熱くなってきます。でも、遠くにある思い出は甘い味がするものです。たかだか十五年しか生きていない僕がそう思うのですから、木村さんが辛い記憶を美しく飾ったとしても、無理はありません。生々しい事実を見つめてもらうのが一番です。

「素肌に無数にあった傷は、なんなのでしょう」
さり気なく問い掛けると、木村さんの頬が真っ赤に染まりました。しばらく迷った後、話したい欲求に負けたように口を開きました。
「鞭打ちの痕だよ。会社に帰ってから、俺はその事実に思い至った。目に焼き付けてきた裸身を思い浮かべると、手首や胸にも縄の跡が残っていた。Mは毎日のように縄で縛られ、鞭打たれていたに違いないんだ」
恥ずかしい秘密を明かすように、木村さんが言葉を落としました。しかし、見開いた目は異様に血走っています。僕の目にさえ、性の高ぶりが感じられます。情け容赦なく、追い打ちをかけることにしました。
「想像したことに、欲情は感じませんでしたか。勃起はしないんですか」
僕の問い掛けに、木村さんは目を大きく見開いて口を開けてしまいました。黙って答えを待っていると、さもつらそうに僕を見返します。

「参ったなあ。そんなことまで聞くのかい。まるでMが目の前にいるみたいだ。とても養子には見えない。Mの子供に責められているような気分になる」
つぶやくように言って目を伏せました。確かに、Mの子供に話せるような話題ではありません。けれど、Mが木村さんに与えた性の衝撃は、ぜひとも聞き出したい事実の一つです。素顔のMを捜し出す旅に出た僕にとって、避けては通れない関門です。
僕は深々と頭を下げて、依頼の言葉を吐き出しました。

「四半世紀も昔のことで、責められる道理はありません。ぜひ、事実を話してください。個人的な秘密であっても、僕は知りたい。Mを捜し出すための貴重な情報になります。見当はずれの場所を捜さないように、Mのすべてが知りたいのです」
大きな声になっていました。頬がかっと熱くなります。
ゆっくり顔を上げると、木村さんの辟易とした顔が見えました。でも、口許に苦笑が浮かんでいます。
「あんたの言うとおりだ。昔のことで恥ずかしがるほどの歳じゃないな。Mの魅力を裏付ける資料の一つとして、聞いてもらおう。だが、聞いてから後悔しても、責任はとれないぜ」
「いいえ、後悔はしません。聞かせてください」
最後のあがきのように念を押した木村さんに、短く答えました。木村さんが、唇の端を舌で舐めてから口を開きます。

「正直に言ってしまえば、俺は欲情したよ。焦りに似た欲情を抱いて会社のトイレに駆け込み、勃起したペニスを指先でなぶったんだ。つむった目の裏には、素っ裸で鞭打たれるMが見えた。俺の知らないMだ。性の喜びに震えている最高の女だった。堕ちていく覇者を見るのはだれでも楽しい。性の喜びに泣くMは、俺にとって堕ちた覇者だ。俺は暗い喜びと共に射精した。惨めな官能を感じると同時に、悔恨が押し寄せてきた。少し遅れて嫉妬が襲い掛かった。俺は変態じゃないが、Mを素っ裸にして縛り上げ、鞭打つこともできる。それでMが喜び、我を忘れた目をしてくれるなら、きっと俺にもできたはずだ。けれど、それをしたのは俺ではなく、あいつだった。だから俺は、あの中年男に、Mが騙されたと言ったんだ」
木村さんの答えは最初の断定に戻っていました。

完璧な孤独がMを官能に誘ったと言う木村さんは、自分でMを縛り上げ、鞭打つことで、その孤独を共有したかったと打ち明けてくれました。くたびれた中年男の向こう側に、今も熱く燃え上がっている若々しい官能の炎が見えるようです。
なぜMが、木村さんでなく、中年のカメラマンを選んだのかは分かりません。でもいつか、Mが木村さんを訪ねて来る可能性はあります。離れて二十八年経った今でも、全身でMを理解しようとする木村さんの気持ちは、確実にMの悲しさと繋がっているような気がするのです。
僕は感謝の言葉を述べ、失礼を詫びてから木村さんの店を後にしました。
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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