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3.鉱山の町(3)

「さあ、行こう」
大きく掛け声をかけ、村木さんがクラウンを発進させました。そぼ降る雨の中を、僕たちは元山沢へ向かいます。
水瀬川を渡り、精錬所の大きな門を過ぎると、道は山の中に入っていきます。峠を越えてしばらく走ると、ちっぽけな集落が見えてきました。かつて殷賑を極めた元山鉱を支えた、住民たちの暮らしの跡です。町にも鉱山会社にも、廃屋を取り壊すお金はありません。半世紀を越えた栄華の跡は、自然に包まれて立ち腐れていくだけです。廃校になった小学校の分校さえ、この二十五年間を子供の声を聞かずに過ごしてきたのです。光男の家があり、祐子の住んだ官舎があり、父の修太が生まれ育ったアトリエもありました。

僕は雨に濡れた車窓から、じっと風景を見ていきます。村木さんは、何一つ記憶を語ろうとしません。目に映る事物や建築の固有名詞をぶっきらぼうに告げるだけです。しかし、それで十分です。「Mの物語」の出演者たちは、荒みきった風景の中で、あのときの動きを、まざまざと僕に見せてくれるのです。鮮明な記憶は土地に染み通り、土地と共に当時の時間を呼吸していました。
元山沢に架かった赤錆びた吊り橋が見えてきました。渡りきった先には坑道へ続く入口の扉があります。

「あれが元山鉱の通洞坑だ。産廃屋たちは、ここで死んだ」
村木さんの素っ気ない声が響きました。声と同時に、僕の脳裏に映る光景が変わりました。見る間に雨が上がり、蝉時雨の夏景色が出現します。
通洞坑の入口から山道へ向かって、転びそうになりながら走る、幼い父の姿が見えました。坑内に残されたMのカメラを発見した父が、陶芸屋に救いを求めようと急いでいるのです。闇の通洞坑の中では、先生の折檻を受けて傷ついた祐子の尻を、Mが舌で舐めて癒しているはずです。しかし、驚いたことに、若いMも祐子も顔がありません。
往時の記憶がない僕には、知りすぎている二人の、二十六年前の顔を想像することができなかったのです。まるで仮面劇のように、異様な事件が進行するだけです。もどかしさが、心の底から喉元に込み上げてきました。

「村木さん、元山沢に棲み着いた記憶は、やはり村木さん一人のもののようです。Mに聞いた物語は生き生きと進行しますが、僕にはMも祐子も見えません。実体が見えないのです。お願いです。体験したことを、詳しく話してください」
切羽詰まった声で、僕は村木さんに頼みました。村木さんが寂しそうに笑いました。車を止めて僕の顔をのぞき込みます。目が涙目になっていました。
「進太、微妙な細部まで知ろうとしても無駄だよ。俺の身体の中に棲むMは、俺だけのものだ。元山沢で知り合った人すべてに、Mはそれぞれ固有な思いを残していった。その一つを聞いたって、全体に通じることにはならない。一人一人の思い出の集積がMの記憶なんだ。バラバラにしてしまっては、かえってMが歪むだけだよ。だから、この土地にこそ、Mの記憶があると言っているんだ」
村木さんは、歳に似合わぬ抽象的な答えをしました。僕は不満です。この鉱山の町で、初めて社会的に暮らしたMが、様々な表情を残していったことが事実であっても、僕は村木さん個人の思いが聞きたいのです。村木さんの心の中に棲むMの表情を知る必要があります。さもないと、鉱山の町のMはのっぺらぼうになってしまいます。

僕はMをまねて、性を武器にして村木さんに挑むことにしました。
「村木さんはMとセックスしなかったから、淡泊な記憶を守っていたいのと違いますか」
問い掛けは、村木さんの弱点を突いたようです。
見る間に、村木さんの頬が真っ赤に染まりました。口を尖らせ、怒りに燃える目で僕を睨み付けました。一瞬僕は、殴られるかと思いました。しかし、村木さんは力無く肩を落としてしまいます。怖かった目つきが、急にそわそわしてきました。やがて、苦渋を吐き出すようにして、言葉を口から落としました。
「そうさ、今でも俺は、Mのことをセックス・マシーンのように思っている。そのセックス・マシーンが俺の上だけ素通りしていった。俺に勇気がなかったからいけないんだ。悔いは残る。今もって俺は、M以上の女に巡り会っていない。好きになった女も、好きになってくれた女もいたが、現実と妥協をするのが嫌で、独り暮らしを通してきた。だがな、Mの記憶に縛られていたからじゃないんだ。俺がMに求めたものと、Mが俺に残していったものが違っていたことに気付いたからだ。今になって考えれば、Mが結んでくれた関係は、まんざら捨てたもんではない。Mは友達として接してくれた。いつでも、どこで会っても、Mは同じように接してくれるだろう。Mと俺は友達なんだ。なあ、進太、色眼鏡をかけてMを見るのはよせ。確かにMは異常な官能を追い求めたが、悲しさに敏感だった。Mにとって、性は重要な問題だったかも知れないが、それは一面に過ぎない。Mの持つ底知れない悲しさが、解きほぐされる場所として性を選んだのだろう。何よりMは、人の悲しさに殉じることを自らに強いた。あのエネルギッシュな活力の源泉は悲しさなんだ。そして俺は、Mの友達として、悲しさを共有したんだよ。多種多様な関係が入り乱れた中で、Mは躍動したんだ。少なくとも、鉱山の町で暮らしたMはそうだった。今の俺に友達はいないが、Mの記憶を誇らしく思っているよ」
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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