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3.鉱山の町(2)

「じつは僕、精錬所が見えるお寺の前にいるんです。これからお邪魔して構いませんか」
「えっ、恩師の寺の前か。そこは、最初にMを連れていったところだ。よし、すぐ行くから、電話ボックスの中で待ってるんだ。十五分で着く」
強引な答えが返ってきました。有無を言わさない響きがあります。しかし、温かさの溢れた、高揚した声です。つい、冷やかしたくなってしまいました。
「お仕事はいいのですか。助役さんに叱られますよ」
「ハハッハハハ、Mから何を聞かされたか知らないが、助役さんは、もう寝たきりで、市の特別養護老人ホームに入所しているし、俺がいなくても役場の仕事は進むんだ。心配は要らないよ」
楽しそうな笑い声と共に電話が切れました。僕に早く会いたいという、村木さんの熱い思いが痛いほど伝わってきました。なんとなく尻のあたりがむず痒く、鉱山の町に来たことを後悔したくなります。僕ばかりではなく、これから話を聞く対象のMさえも、この町では自由でいられない予感がしました。しかし、待つほどもなく、白いクラウンが水しぶきを蹴散らして電話ボックスの前に止まりました。素早く動くワイパーの向こうに、満面に笑みを浮かべた丸顔が見えます。少しも警戒心のない無邪気な笑顔でした。とても、総務課長の要職にある人とは思えません。僕はあっけに取られ、不似合いな車に乗った村木さんを見つめてしまいました。

「進太、早く乗れよ」
助手席の窓が下り、かん高い声が響きました。
僕は背を突かれたように電話ボックスを飛び出し、クラウンのゆったりしたシートに座りました。オートエアコンのきいた車内は快適な環境です。村木さんが身体を横にして、まじまじと僕を見つめます。
「ほう、修太よりよっぽどいい男だ。背も高いし、顔もいい。ずいぶんMにかわいがられたんだろうな」
はしゃいだ声で感想を口にしました。語尾には、嫉妬の気持ちがあらわになっています。僕は思わず吹き出してしまいました。
「かわいがられたといっても、Mは僕の実母より十七歳も年上ですよ。昔なら、祖母と呼んでも不思議はない」
答えを聞いた村木さんの頬が赤く染まりました。年齢を実感して恥ずかしくなったのでしょう。でも、村木さんにとってMは、今でも二十九歳の若さを保っているに違いありません。村木さんが幼いのでなく、過ぎ去っていった時間が残酷なのです。

しんみりとした空気が車内に漂ってしまいました。僕は大きく息を吸い込み、元気を奮い起こして聞き取りを始めます。
「Mは、鉱山の町で多くの人に出会ったと言っていました。村木さんや和尚さん、陶芸屋に緑化屋さん、分校の先生、助役さん、修太、祐子、光男の三人の子供たち、死んでしまった産廃屋と妹のカンナ、そして多くの住民の皆さん。でも、現在の鉱山の町には、村木さんしかいないのですね。祖母のナースは、この町で暮らしたMを知りません。Mの記憶を聞かせてくれるのは一人きりです」
改めて現実を実感して、僕は口をつぐんでしまいました。運転席に座る村木さんの横顔をうかがってみます。村木さんはハンドルに両手を当てたまま、黙って前を見つめています。薄くなった頭の向こうに、雨に煙る精錬所の廃墟がかすんで見えました。
「いや、そんなことはない。Mの記憶は、この土地の至る所に残っているよ。人の数など問題じゃない。Mが去ってしまったことが問題なんだ。進太だって、Mがいなくなってしまったから、ここを訪ねてきたんじゃないか。ただの話なら、祐子にだって聞けるさ」
突然、村木さんが荒々しい口調で断定しました。沈黙が落ちます。二十五年間に渡るMの不在が、車内を埋め尽くしそうです。無気力に生きる祐子の姿が脳裏を掠めました。鉱山の町の孤独が、僕の心に伝わってきます。

村木さんが横を向きました。対岸に横たわる精錬所の廃墟を見つめて言葉を落としました。
「たとえば、あの精錬所だ。Mが先輩の陶芸屋の家で暮らし初めて一か月が過ぎた、穏やかな四月の夜のことだ。ここから見える構内の桜の木に、Mは素っ裸で後ろ手に緊縛されて吊されていた。ちょうど花が満開で、妖しいくらい美しかった。桜が美しいというより、花吹雪になぶられる裸身が、凄惨な美をかもし出していたんだ。そこは花見コンサートの会場だった。俺はここから双眼鏡で見て、カメラを片手に走り出したんだ。恩師や町医者の奥さんたちで編成した、弦楽五重奏団が奏でるモーツァルトの調べが今も聞こえる。あの光景も音楽も、この精錬所の廃墟や水瀬川に封じ込められているんだ。Mの記憶はあらゆる所にある。昔、Mを案内したように、今日は進太を案内してやる。Mから登場人物の名を、あれほど聞いているんだ。元山沢を見て回れば、俺の記憶など要らないことが、進太にもきっと分かる。Mは今でも、相変わらずここにいるんだ。さあ、行こう」
話し終えた村木さんの態度が、急に生き生きとしてきます。僕まで、Mに会えるような気分になってきました。
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Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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