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4.クラブ・ペインクリニックの集い(2)

婦長室は三階の北隅に二室並んでありました。
リハビリと書かれたドアを村木さんが無造作に開きます。ノックもしません。村木さんの肩越しに見えた部屋は、四畳ほどしかありませんでした。
「村木さん。いくら役場の課長さんでも、入る前にはノックをしてください。ここは女性の部屋ですよ。いくら役場が金を出しているからと言って、女まで買ったわけじゃないでしょう」
低く厳しい声が響きました。目の前にある村木さんの背がビクッと震え、棒のように固くなりました。僕は痛快で仕方ありません。さすがに我が祖母だと誇りたくなります。
「大層なご挨拶で参ったな。謝りますよ。婦長さんの孫を連れてきたので、喜んでもらおうとして、慌てたんです」
言い訳を聞いた婦長さんの目が光りました。怖い顔で僕を見ました。

「孫ですって。進太なの、進太が来たのね。課長さん、あなたは早く脇に退いて進太を通してください。私は初めて会うのよ」
婦長さんが、大声で言って椅子から立ち上がりました。ドアに手をかけたままの村木さんが、慌てて部屋に入って隅に避けます。婦長さんの視線が真っ直ぐ僕の目に注がれています。僕も鋭い視線を受け止めました。とたんに温かな眼差しに変わります。何とも言えない通い合う気持ちが往復しました。僕の目が潤んできます。視線の先で、婦長さんの目から涙が落ちました。ドアから三メートルの距離に机があります。婦長さんは机の前に回り、両手を僕に差し出しました。僕は思い切って前に進みます。婦長さんから視線を外し、幾分うつむき加減に歩きました。

「進太、進太なのね」
名を二回呼んで、婦長さんが両手を僕の肩に置きました。思ったより柔らかな手の感触が、肩先から伝わってきます。
「進太、よく来てくれたわね。初めて会うのよ。顔を上げて、よく見せてちょうだい」
言われたとおりに顔を上げました。涙に濡れた婦長さんの目が見えます。喜びと悲しみがない交ぜになった大きな目でした。生真面目で献身的な情熱が顔一面に溢れています。どこか見覚えのある懐かしい表情は、とても初めて会う祖母とは思えません。きっと、Mの話してくれたナースの印象が僕の心の中に焼き付いているのでしょう。僕の目からも涙がこぼれました。

「初めまして婦長さん。進太です。でも、初めてお会いした気がしないのです。ずっと前から知っているような気がします」
「それは、祖母と孫だもの。血が繋がっているのよ」
僕の挨拶への答えは、僕が知っているナースらしくありません。急に、見知らぬ初老の女性があらわれたようで、照れくさくなってしまいました。
「いえ、養母のMから聞かされた印象と、現実の婦長さんがぴったりなので感動してしまったんです。でも、話してくれたMは、半年前に、家を出ていってしまいました」
弁解するように付け足しました。聞いている婦長さんの眉が曇りました。でも、仕方ありません。僕は肉親の血に惹かれたのではなく、「Mの物語」に出てくるナースの生の姿に出会って、改めて感動したのです。

村木さんが手を伸ばし、僕の脇腹を突きました。
「進太、お祖母さんと初めて会って、婦長さんはないだろう。もっと家族らしく喜べよ」
無愛想な僕の態度を責める、村木さんの言葉は正当です。
婦長さんの表情が一瞬輝きましたが、苦いものを飲み下すように目をつむりました。再び目を開いて僕の顔を見ます。さっぱりした献身的な表情が戻っていました。

「進太は、Mと暮らしていたのよね。それが家族というものよ。私が進太を引き取らなかったのは事実だから、家族らしくなくても仕方がない。Mの家出をいいことに、いまさら、お祖母さんと呼ばせるほど恥知らずではないつもりよ。けれど、婦長と呼ばれるには抵抗がある。私のことをMが話題にしたのなら、きっとナースと呼んだはず。進太、私をナースと呼びなさい。ここに来たのも、私に尋ねたいことがあったからでしょう。Mと出会ったころの話でしょうね。私は構わないわ。肉親としてではなく、ナースとして話してあげます」
張りのある声から誠意が伝わってきました。僕は婦長さん、いやナースに深々と頭を下げました。目尻からこぼれた涙がリノリウムの床に落ちます。

「話は決まったわ。これでもう、課長さんの務めは済みましたね。村木さん、進太を連れてきてくださって、本当にありがとうございました。これから進太とプライベートな話をするので、どうぞ席をお外しください」
ナースが村木さんに向かって慇懃に声を掛けました。村木さんは泡を食ったように、目を白黒させています。救いを求めるように僕の顔を見ました。僕は知らない振りで頭を下げ、視線を足下に落としてしまいました。
「先輩の陶芸屋と同様、この家族はどことなく冷たいんだよな。まあ、俺はつんぼ桟敷には慣れているから、陽子さんの好きにすればいいさ。進太、俺は事務長室にいるから、話が済んだら寄ってくれ。駅まで送るよ」
部屋を出ていく村木さんが、捨てぜりふのように言いました。けれど、少しも権力的ではありません。先輩の妻だったナースの名を口にした声は、意外に若々しく響きました。ナースの口元に苦笑が浮かびます。大きな音をたててドアが閉まりました。僕の表情を見て、ナースが大きくうなずきました。
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Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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