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2.ピアニストと呼ばれた少年(3)

先生は、棚の中央に置いてあるラジカセに無造作にテープをセットしました。音楽家の持ち物とは思えない、東南アジア製のちっぽけな機械です。思わず苦笑すると、先生がスイッチを入れました。とたんにスケルツォ第二番変ロ短調の冒頭の音が耳に飛び込んできました。思った以上に録音がよく、会場の雑音も混じりますが、曲が生き生きと聴き取れます。

透き通った美しい音色でした。健康的で癖がない、弾く人の人柄をしのばせるような調べです。ピアニストの穏やかな心根が胸の底まで染み込んできました。しかし、少しもスリリングではありません。
「心が落ち着く、きれいな調べだけれど、それだけでしょう。けして癒されるわけではないわ」
先生が僕の感想を代弁して、批評しました。おまけに曲の途中でテープを止めてしまいます。
「最後まで聴いても同じなのよ。素晴らしく繊細で、努力の後も分かるけど、聴いていてつらくなるの。人を表現に駆り立てる魔性と縁がなかったのね。ピアノと同じように生真面目で純真な子だったから、かわいそうよ。それでいて傷つきやすいんだもの、放っておけなくなるわ。ずいぶん悩んでいた様子だったけれど、頭脳を生かして医者になれてよかったと思う。あなたもピアニストくらいの年齢なんだから、気を付けなくちゃだめよ」
教育者が本業になってしまった先生が、本領を発揮しました。当時のピアニストは僕より三歳も年上です。けれど、初めて聴いたピアニストのピアノは、僕が羨ましくなるほど牧歌的でおおらかな調べでした。たとえピアニストが悩みきっていたとしても、発せられたピアノの音は、聴く者の心を温かく抱き留めてくれるのでしょう。

心の傷が癒えていなかったMは、その音色に惹かれたに相違ありません。当然ピアニストにとって、Mは初めての女性です。僕と比べ、のどかとさえ思える性の出会いに嫉妬を感じました。しかし、ピアニストが奏でる純真な調べにも関わらず、熱い官能の炎が蔵屋敷を焼き尽くしたのです。少年ピアニストの、さわやかなイメージを抱いて帰るわけにはいきません。
次は、性に戸惑うピアニストを引きずり出す番です。
席に戻った先生の目をじっと見つめました。先生も訝しそうに見つめ返します。

「先生は、ピアニストと仲のよかった新聞社の女性を覚えてますか。Mという名で、ピアノ教室の広告を取りに来たはずです」
問い掛けが終わる前に、先生が露骨に眉をひそめました。やはり先生は正直です。嫌な記憶でも、忘れた振りができませんでした。
「覚えているわ。図々しい広告取りの女でしょう。いくら断っても、しつこく訪ねて来た。最後には、断ってばかりいると地位と名誉に傷が付くと、脅しまがいのことを言ったのよ。たかが五千円の広告よ。根負けして了承したら図に乗って、発表会のプログラムの製作まで請け負っていったわ。Mはハイエナのような女よ。けれど、ピアニストと仲がよかったなんて、初耳だわ」
上品な振る舞いが一転し、怒りにまかせて過激な言葉を口にした先生は、かろうじて弟子のピアニストのことでは白を切りました。けれど、頬が赤く染まっています。どう見ても怒りの色ではありません。思い出した事実が恥ずかしくて仕方ないのでしょう。待っていたとばかりに、僕は切り込みます。

「そのハイエナのような女とピアニストが、先生のレッスン室でデートをしていたという噂を聞きました」
聞いている先生の顔が青くなり、続いて真っ赤に染まりました。当時の噂を口にする僕を疑う気持ちなど、すっかり無くしています。まるで、二十七年前にタイムスリップしてしまったみたいです。
「あれはデートじゃないわ。レイプよ。かわいそうに、ピアニストはMという三十女に犯されたのよ。私は一部始終を見ていたのよ」
叫ぶように言って、先生は口をつぐみました。小さな肩が震えています。二十七歳だったMも三十女にされてしまいました。でも、間違いを正す気はありません。最後まで話させるのが先決です。

「先生がご覧になったことを話してください。どうぞ、ありのままを聞かせてください」
僕の言葉に先生が小さくうなずきました。幾分冷静さを取り戻したようですが、妙に高ぶった声で先を続けます。
「あれは発表会を控えた冬のことだわ。ピアニストがレッスン室でスケルツォを練習していたの。彼の家にはヴェーゼンドルファーのアップライトがあったけど、フルコンで弾きたいと言って学校の帰りによく来ていたのよ。私は奥の事務室で確定申告の書類を作っていた。テンポが狂ってきたのでおかしいなと思っていたら、大きく音を外したの。それっきり反復練習もしないので、のぞき窓の所まで行ってレッスン室をのぞいたのよ。びっくりしたわ。開いた口がふさがらないというのは、こういうことかと思った。見たくないのに一部始終が見えてしまうの。恐ろしかったわ」
ついさっき見た情景を思い出したように、先生は口をつぐんで眉をひそめました。目撃した事態を、心底怖れているように見えます。ここで黙り込まれてしまっては元の木阿弥です。
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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