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- 2012/03/26/Mon 15:00
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- 第10章 -巡礼-
「それがなんだというのよ。Mとバイクはなんの関係もないわ。私の過去まで掘り返す権利は、進太にはない」
叱声が返ってきました。
マティニを飲み干した祐子が立ち上がります。着古したジーンズと、白いトレーナーを着た肢体が左右に揺れています。少しも構わない格好で素顔のままですが、すらっとした長身は僕の目にも美しく見えます。今にも崩れそうな危うさが漂ってきました。
僕も負けずに、祐子を睨み付けます。
「権利じゃないよ。Mに対する義務を果たしてるんだ。けして、祐子の過去を掘り返してるわけじゃない。でも、ナースの話を聞いた後では気掛かりもある。今の祐子は、当時のバイクと瓜二つのようだよ。ただ一点を除いてね。一切を失ってしまったバイクは、祐子のお陰で、生きる希望を見出してから死を選んだ。だが祐子は、せっかくの希望を捨てて、夢をMに繋いだんだ。その夢が消え失せてしまったので、立ち腐れの死を選ぼうとしている。そんなのなしだよ。今の祐子には希望がない。バイクとは違う。一度希望を見出した祐子が、怖じ気づいてしまうなんてあんまりだ。バイクの性を受け入れた、十四歳の祐子が僕は好きだ。尊敬している」
言い切ると同時に、祐子の頬が真っ赤に染まりました。手に持ったカクテルグラスを、僕に思い切り投げ付けました。胸に当たったグラスから、残ったマティニが顔に飛び散りました。きついジンのにおいが鼻孔を打ちます。
「祐子、進太はあんたの弟みたいなもんでしょう。弟に意見されたからといって、ムキになるのは大人げないわ。お酒も祐子には似合わない。あんたが店の売り上げに貢献する必要はないのよ。さあ、進太、座りなさい。レモン・スカッシュを飲みながら、ナースのことを話してよ」
赤い顔をして肩を怒らせている祐子を取りなしてから、チーフがカウンターの上にグラスを差し出しました。ガラスの表面に浮いた白い霜を見たら、急に喉の渇きを覚えました。僕は祐子が座っていたスツールから椅子一つ離れて座りました。祐子は立ち尽くしたまま、カウンターの隅に置かれた水槽を見つめています。暗い水の中を、妖しい光を放って無数のネオンテトラが泳いでいます。闇の中を彷徨う様は、まるで祐子のようです。
「さあ、話しなさいよ。ナースは元気だったの」
祐子を無視して、チーフが促します。
「ああ、元気だった。リハビリテーション施設で、看護婦長をしている。老練なキャリアウーマンだった。自信たっぷりで、とても祖母には見えなかったよ。第一線の現役にいるんだから、立派なもんだ」
「そう、ナースらしいわ。ここにいたときもエネルギッシュで、若い私が負けそうだったものね」
「そうそう、若いころのチーフの話も聞かせてもらった。ずいぶん元気がよかったんだってね。Mと一緒に折檻されたことも聞いた。僕も、母の睦月のSMショーは覚えているけど、チーフのショーも見てみたくなったよ」
媚びるように言って、チーフの顔を見上げました。羞恥で赤く染まった頬が若やいで新鮮に見えます。
「何を言うの。私はもう四十七歳よ。乳房が垂れて、お尻も下がってしまったわ。恥ずかしいことを言わないでよ」
怒ったように答えましたが、目は遠くを見ています。この店でMと演じた狂乱を思い起こしているようです。チーフの脳裏では、若くて美しい裸身が乱舞しているのでしょう。目を細めて、一層頬を赤く染めました。まるで少女のようです。
「思い起こすのも恥ずかしいと思っていたけれど、進太のお陰で当時のことを思い出してしまった。やはり懐かしいものなのね。ナースから聞いたのでは、ずいぶん露骨な話だったでしょうね。あのころの私たちは、セックスがすべてだったのよ。身を持って抵抗したのはMだけだったわ。だから私は、Mに惹かれた。Mのように生きたいと思ったものよ。祐子とは違うわ。祐子は、Mに庇護されていたかっただけ。Mを巡るライバルだと思ったこともあったけれど、見当はずれだったわ。Mを恋人と見るか、保護者と見るかの相違だった。ねえ、祐子、そうでしょう」
チーフの矛先が急に祐子に向かいました。Mを巡る相克が、とんだところで再現されてしまったようです。キッとした顔で祐子が振り向きます。